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韓国・プサンでの現地の方との交流

学生時代に行った、韓国第二の都市、釜山。
「釜山港へ帰れ」という歌が随分昔に流行ったせいか、漁港みたいな若干寂れた風景を想像していたのですが、近代的な建物と、昔ながらの市場と、そして港が同居する、アジアならではな面白いオリエンタルさを持ち合わせた街だったと思います。

釜山は1泊2日で、焼肉食べたり市場を見てまわったりしたけど、一番印象的だったのは、現地の方と触れ合った2度の出来事。

1度目は、どこかの観光スポットに行こうとしたものの、方角が分からずに友人と右往左往していたとき。中年の女性に日本語で「どうしたんですか?」と声をかけられました。
声をかけられたことも驚いたけど、流暢な日本語にも驚いた。日本人の方と思ったくらいです。

道に迷った事情を話すと、彼女はタクシーを呼び止めて、今度は韓国語で運転手さんに道を説明してくれました。おかげで、目的の場所に行くことができました。

色々考えました。
そもそも、日本で道に迷っている外国の方がいたら私は声をかけるか?
答えは、きっと、Noです。
言葉が通じない、というのもあるけど、仮に道に迷っている日本人でも声はかけないでしょう。しかも、当時はまだまだ韓国の方の反日感情が強い、と報道されていたような時代でした。なので、その中年の女性の親切な行動には心底驚きました。報道って、大袈裟にしてるだけなのかも?って。

2度目の交流は、ホテルをチェックアウトするときに発生しました。
チェックアウトしようとロビーにいると、一人の青年から「日本人ですか?」と声をかけられます。少しカタコトだったかな。
彼は、自分が怪しいものではないと証明するべく名刺を差し出してきました。かのサムスンの社員さんでした。
話を聞くと、当時の韓国は日本語ブームだったのだそう。よって、日本語上達のために、同じ年代の文通相手(当時はインターネットなどありませんでしたから)を探しているが、相手になってくれないか?と、いうものでした。

少し迷ったけど、前日の中年の女性のことが脳裏をよぎりました。ご恩はご恩で返したいな、って思った。だからOKしました。お互い住所と名前を交換して帰国の途に。

その後、キムくんとの文通が本当にはじまりました。

同い年と思っていたキムくんでしたが、じつは韓国では年齢の数え方が違うとのことで、私よりも1歳下だとわかったり、お互いの文化のことや、ときには日本語に赤ペンを入れて添削したり、、、そして、ある日、国際電話が我が家にかかってきて、キムくんのご家族全員、妹さんも含めてお話することになったり!

その後、双方仕事などが忙しくなり、フェードアウトしてしまうことになりますが、今でも時々思い出す出来事でした。

戦時下の日本が韓国の方にしてきたこと、そしてその教育を受けた方々が反日感情を抱くのは当然だと思っていたけど、互いに”知る”アクションを起こせば、そういった感情は緩和されるんだな、と思う。
そのことを教えてくれた、釜山で出会った2人の方には、感謝したい。

たった1泊2日の旅行だったけど、そういう学びを得られた貴重な時間だったのでした


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